大阪の学童保育の保護者、指導員の団体です。「子どもたちにより豊かな放課後を」を合言葉に活動しています。

おおさかのがくどうほいく 大阪の学童保育保護者・指導員、そして専門家の集団です。「より豊かな放課後を」合い言葉に日々活動に励んでいます。

庄井良信(北海道教育大学院・助教授)さんのお話

専門分野は臨床教育学。様々な悩みや困難を抱えた家族・地域・学校現場と手を繋ぎながら教育相談、教育治療活動に参画。主な著書『癒しと励ましの臨床教育学』(かもがわ出版)『揺れる子どもの心象風景』(新読書社)

 みなさん、こんにちは。北海道からやってまいりました庄井と申します。
 この「ランドセル揺れて」の上映にかかわりましては、すでに札幌で多くの方が実行委員会に集まりまして、のべ2000人近くという人数で大成功いたしました。その上映会でも2回ほどこの映画を見せていただきました。今日で3度目見せていただいたのですが、見せていただくたびにいろんな発見がありましてね、「困ったときはお互いさまや」という人と人とのきづなが生まれて行く文化というのは、今の日本の世の中で、どこか忘れていたものかなぁとおもうんです。

学童保育は未来への種まき
 学童保育というのをご存知の方も多いと思いますけども、1997年の「児童福祉法」の中で、「放課後児童健全育成事業」として、それ以降今、全国でおそらく1万3000ヵ所以上というふうに、どんどん制度は広がっていますが、残念ながら、まだ学童保育というものを知らない、一体それは、何を目指して、そして、どのようなことが行われている場所なのかていうことをまだ知らないという方もまだたくさんいらっしゃいました。
 先日、北海道新聞の記者の方がこの上映会のことで取材がありましてね、30台半ばぐらいの若い記者の方だったんですが、いろいろこの学童保育について話し合いました。すると、その記者の方が「いろんなことが発見できた」とおっしゃったんです。この学童保育というのが、放課後、お父ちゃんやお母ちゃんが一生懸命働いていて「ただいま」って言って帰っていく場所がない子どもたちに「ただいま」と言って帰っていく場所がある。そして、それは「昼間の兄弟」と言われている。そこまではその記者の方もご存知だったんです。だけれども、今日はみなさんに問題提起したいと思ってるんですけども、この学童保育は、そういう場所として、本当に困ったときは「何かできることはないかなぁ」という人の知恵から生まれてきた、そして、非常に短い間にこれだけ大きなうねりになって、その人と人との和が広がってきたと言うことではありますけれども、同時にそれは、未来への大事な種まきなんだって思うんですね。

現在の家族の風景
 今日これからお話したいのは、今、おそらくみなさんが、日本中の親たちが、あるいは先生方が、いろいろな意味で心配をし、胸を痛めている、たとえば、長崎で、東京の都心で起きた、あるいは、沖縄で起きた少年たちによるさまざまな事件や、あるいは、事件に巻き込まれていった少年、少女たちの問題っていうのが、あると思うんです。こういう子どもたちを、どう理解してそして、そこで大人として何ができるのかって考えたときに、その子たちをカウンセラーやあるいは専門家の人が一対一でサポートしていく、あるいは、その子たちを理解し、援助していくことも、ある意味ではとても大事なことだと思いますが、私たちに今問われているのは、ああいう子どもたちが地域の中で、なぜ生まれてくるのか、あるいは、生まれてこざるをえないのかということです。おそらく、多くの少年事件がそうであるように、加害者の側のご両親も、勿論、被害者の側のご両親もあるいはその事件にかかわりあった周りの大人たちも、今の時代、必死で生きていると思うんです。子どもたちにできれば愛情をたっぷり注ぎたいって、いつも願って生きているんだと思うんです。少なくとも、私のところへ教育相談でいろんな困難を抱えてこられるお父さん、お母さん方はみんなそうだって思うんです。

 よく世間では、困難をかかえた子どもたちの親を「どんな親だ」「本当に子どもを愛しているのか」とか「本当に子どものことを大事に育ててきたのか」って、そういう世論がしばしば生まれます。これは、今の社会がとっても不安だから、誰かが悪いことにしないと、落ち着かないという心理がどうしても働いてしまうんだと思うんです。けれどもね、私が出会ってきた親たちは、本当は「とってもいい親したかった」って言うんですよ。

 一昨年、私のところをたずねて来て、一緒にお茶を飲みながら、お話しをしたある21歳のお母さんがいました。髪の毛は7色に染まってましてね、当時、流行っていた厚底のブーツをはいてたずねてこられました。かかえていらっしゃった問題はとても重たかったんですけども、最初はとっても明るい雰囲気で、「お早うございます」と言って入ってこられました。そして「私ってね、親として失格なんだよね。ダメ親なんだ、わかってるんだよ先生。わかってんだ」ニコニコしながらそういう話をされるんです。足を高々と組みましてね、正面は向いてくれませんでしたけど、一生懸命言っている。そんな話をお茶を出しながら聞いていました。30分くらい「私はダメだ」というお母さんの話をお聞きしてるうちに、そのお母さんがね、段々体を真っ直ぐ向いてくださるようになって、そして「先生は不思議な人だな」っていうんです。「私がこんなにダメお母さんなのに、何でその話を聞いてくれるんですか」っておっしゃったんです。結構ガラッパチの語り口をしていたお母さんが、やがて静かに敬語で話し出しました。そして、そのお母さんがおっしゃるには「私は本当はいいお母さんになりたかった。小さいころお母さんが早くからいなくてね、そして、兄弟も少なかったから、早く家族というのが欲しかったな」って、ただ、高校生くらいに子どもが生まれた。「私ね、一生懸命いい親しようと思ったんだよ」って言います。「どんな家族がつくりたかったの」って聞いたら「ほらほらシチューのコマーシャルがあるでしょ」とおっしゃるわけです。シチューのコマーシャルというと、よく北海道が舞台になるんですけどもね、要するに、寒い中、帰ってきたら、家の中にぽっかりと明かりがともっていてね、そして、エプロンお母さんが出てきて「お帰りなさい」と言って、そして、お父さんが、ニコニコしたお母さんと子どもたちに囲まれて、暖かーいシチューを、一杯飲んで・・・。「あんな感じ!あんな感じ!」とおっしゃるんです。

 私も3人の子どもの子育て真っ最中ですけど、子どもが小さかったころ、家族みんなで親も忙しいですから、大忙しの中で、一生懸命やっとの思いで、7時過ぎに夕食ができて、「さぁ食べよか」と言ってシチューを食べ始める。3人の子ども、当時は一番上が6歳、真ん中が3歳、一番下は1歳に成り立てで、そんな子どもたちが、家族で「いただきます」と言って、シチューを食べはじめたら、どんなことになるか一番上の子がようやくスプーンが持てるようになったかなぁと言うくらいで「ちゃんと左手も出して食べなよ」と言ってると、真ん中の子がね、手づかみで食べようとするから「いやいや!ちゃんとスプーンを持ってほら」と言っていると、一番下の子はといったら、粘土かなんかと間違えたんでしょうかね、シチューを壁にぬたくってるんで「ちょっと待って」なんてことで、コマーシャルのようにはいかないです。

 でもね、そのお母さんは「本当にこんな家族ができたらいいな」と思い描いていたんです。その思い描いていた夢が、大きな風船のようにあって、そして、そのお母さんは「親ってそういうものだよね。でも私、どう頑張ってもそうなれないんだ」とおっしゃるんです。「何やっても失敗しちゃうしさ」夕飯のとき「子どもも保育所で頑張って帰ってきたんだから、短い時間ぐらいは、ゆっくりシチューを食べて、いいお母さんしよう」と思うんだけど、思っているのは10分ぐらいで、やがて段々いらいらいらしてきて、「気がついたら子どもに手が上がっちゃったんだ」なんて言ってました。そして、頑張って帰ってきた息子、娘の姿を見て、でも、それに手が上がってしまう自分というのを、ふと気がついて振り返ったときに「今日も泣きながらご飯を食べたのわが息子」でも、9時半、10時ぐらいになって、ふと、寝付いた子どもの寝顔を見てね「ゴメンなって、毎日そんな日がつづくんだ。やはりだめお母さんでしょう」とおっしゃられる。

 私はその話を聞きながら、自分の子育てを振り返りました。そしてね「そういうことはあった」と思いました。誰もが子どもを大事にしたいと思いますし、その中で、忙しくて忙しくてどうしようもないときに、子どもに「ゴメンね」って謝りながら、一生懸命親してるって、私はおそらく多くのお父さん、お母さん方が、そういう中で、必死に頑張ってらっしゃるんだと思うんです。それは、1970年代、1980年代とは少し違った家族の風景かも知れません。

 ある精神化のお医者さんの学会で、こんな調査があったんです。5歳から15歳までの子どもたちに「みなさんにとって家族とはどういうイメージですか」と言うアンケートを取ったんですが、そしたらね、1989年、今から10年前の子ども達は「家族というのは、お父ちゃん、おかあちゃんあるいは、おじいちゃん、おばあちゃん、あのね、こんなことができるようになったんだよ。こんなステキなことがあったんだよってことを真っ先に教えたい」って、それが家族だって、家族って明るい話ができるところだ」と答えた子どもは10年前も、今もほとんど変わらないんだそうです。

ところが、その逆に、「家族にならば、暗い話もできる。家族というのは、つらいことやしんどいことでも聞いてくれる場所だ」と答えた子どもは、10年前に比べて激しくその割合が減っていると言う報告がありました。「家族でその暗い話がなかなかできない子どもたちが増えている」と言う実態が報告され、そして、その背景に「おそらく、今のお父ちゃん、お母ちゃん方が働いている社会そのもののやはり影響があるだろうな」一生懸命生きてるんだけども、もう、お父さんも、お母さんも、本当にぎりぎりのところで、今日の映画の先生のように、ぎりぎりのところで頑張ってるんですよ。そして、本当は子どもが風邪を引いたら「ぴったり付いて、一日甘えさせたい」と思いながら、なかなかそれもかなわないと。流行のバックを買ってあげたいなと思いながらも、それもなかなかかなわない。という中で、その子どもを愛する気持ちが強ければ強いほど、それができない自分のことを責めつづけて、爪先立ちで頑張ってますから、そういう親の姿を見て「ただいま」といって帰ってくると「イヤー、今日はしんどかったなぁ」とか、あるいは「今日は眠くてかなわん」と子どもはいいましたね。ああいうような言葉が出ないっていうんです子どもが。「ただいま」って帰ってきて、親の顔を見たら、ゴクってそういう暗い話しは呑み込んでしまう子どもが多いと。

そして、学会の調査で、「ジャァそんな暗い話は誰にするんですか」とたずねたら、かなりの子どもたちが「ペットに話す」と言っております。そういえば、今日の場面でも、お母ちゃんにハムスターを買ってもらえなかった子が、ハムスターをじっと見つめてしくしく泣いてましたけど「それはなぜですか」ってたずねたら、多くの子どもが「そりゃぁ、ペットは黙って聞いてくれるから」こういってますよ。言われてみると「そうかな」と思うんです。ハムスターも、ワンちゃんも、猫ちゃんも「今、忙しいからちょっとやめといて」とかって言わないわけですよ。そんな存在が、今の家族の風景になってきてるのかなと思うんです。これは、両親共働きの家族であろうが、あるいは、お母さんが家にいて、という家族であろうが、変わらないそうです。それだけ家族っていうのが、つらいこと、しんどいことっていうのをなかなか人に話せないって、そういう関係に変わってきてしまっているていう報告を聞いて「なるほどな」って思わされたことを思い出します。

マイナスの気持を語れる地域の再生を
 そのときにね、今、社会の上に立つ人たちが、しばしば言うのは「おとうさん、お母さんしっかり子どもを愛してあげてください」「とか、あるいは「お父さん、お母さんの心がけで、子どもは良くも悪くもなりますよ」って言う話を今の社会のリーダーの人たちから聞くことがしばしばありますが、私は、教育相談活動をずっとやっていく中で、そんなことを言われても、ぎりぎりのところで頑張っているお父ちゃん、おかあちゃんに「心がけでいい親になれ」って言われてもね「それは無理じゃあないかな」って思うことがしばしばあります。私の実感です。そして、そういう状況にお父さん、お母さん方が、共働きであろうが、そうでなかろうが追い詰められているっていうこの地域の実態の中で、あるいは、多くの家庭がそういう実態の中で、私たちが「子ども達を守っていくために、何ができるんだろうか」って考えたら、やはり、地域の中に子どもたちが「困ったなぁ、つらいなぁ、しんどいなぁ」っていう思いを、聞き取ってくれるそういう見守り手を地域の中にもう一回「再生」していく、あえて私は「再生」という言葉を使いますけれども、かつては、いろんなところでそういうものがあったんだと思うんですね。

たとえば、子どもがお父ちゃん、おかあちゃんから徹底的に叱られちゃって、道端でしくしく泣いてたら、通りすがりのおじちゃん、おばちゃんが「どうしたんや」って声をかけてくれた。「こういうことでお母さんに怒られた」というと「そうか、それはつらかったなぁ、おじちゃんにもそういうことあったぞ」なんて話をしてくれた「本当」と、そういう話しを聞いてくれる人が、地域の中にいてくれた。そして、お兄ちゃん、お姉ちゃん、兄弟がたくさんいたときは、お兄ちゃん、お姉ちゃんの誰かがそれを聞いてくれた。

 地域の中には、いろいろ明るい話をして一緒に喜び合う人もいれば、つらい話や、暗い話をしてちゃんと手をつなぎ合える人もいてくれた。それが、1970年、80年、90年そして、今日にいたるまで、そのきづなが段々段々見えなくなっていった。明るさでつながりあえるきづなというのは、おそらくこの厳しい競争社会の中では、未だにあるかも知れませんね。さっきの家族イメージが変わっていないように、おそらく社会の中でも「やったぞ!すごいだろう!」「よかったなぁ」とか、表面的にでも言い合って、明るく声かけ合うという文化は今でもあるかも知れない。ただ、それが本当の明るさかどうかはわからない。だけど、暗さやつらさっていうものをしみじみと語り合うという文化は一体どこに行ってしまったんだろうか。

子どもたちの心模様
 今回の長崎の12歳の少年の場合も、本当に被害に会われたしゅん君のお父さん、お母さんの気持ちになると、私も子を持つ親として「何でこんなことが起きたんだ」と怒りとも、悲しみともいえない煮えくり返る気持ちが「一体どうしたら、わかってもらえるんだろう」って思われているお父さん、お母さん方の気持ちっていうのは、本当にわかるような気がするんです。でも、もう一方でね、少し冷静に「ああいう事件が何で起きてしまったんだろう」しゅん君のためにもですよ「どうしてあの少年はこういう事件を起こしてしまったんだろう」って思うと、その子の育ちというものを、どこかで冷静に、私たちは考えてみる必要があるのかなと思うんです。

 私は、教育相談を受けに来たちょうど12歳の少年の中に、ああいった思春期にある自分の心と体が急激に変化する時期に、自分の中で湧きあがってくる影の部分の声とか、暗さとか、くささとかいうものと、どう向かい合っていいのかわからなくて、大変戸惑うという、そういう子どもたちの姿が、私は12歳の少年とダブって見えました。それと同時に、あの少年が三国志なんかをね、読みこなす、いわゆる目に見える基礎的な学力というものは、非常に高い子だと、中間テストで平均点が93点も取れる子でしょう。だから、学年でもトップクラスの成績をとる子だった。今日の映画でも「あの子は、遊ぶ姿を見てると、いろんなことを工夫して、すばらしい力を持っている子ですよ」と学童の先生が言うけれど、ヤッパリ親はね「そうはいっても、それは理想で、しっかり基礎学力つけてあげないとね」って、私は、お互いにそう思い込んでるんじゃあなくて、本当に揺れてるんだと思うんです。それは当たり前だと思うんです。ある意味でそういう基礎的な力をつけていくことは大事なんですけど、そういうものを非常に上手にクリアして、学年でトップクラスの成績を取る子が、気が付いたら、自分で自分が「こんなことをしてしまっていた」と後からふっと振り返るようなそういう心の状況に、少年がいたっていうことを、どう理解したらいいだろう。

 中学生がね、よく言うんです。お茶を飲みながら「父さんも知らないだろうな、母さんも知らないと思うよ、先生は絶対に知らない」と意味ありげにいうから「何を」ってたずねたら「僕たちがさ、頑張って頑張って普通してること」「じゃぁ、頑張って頑張って普通してるんだ。でも、頑張って頑張って普通するってどういうこと」ってたずねたら、ある少年は、こう言ってました「そりゃぁ、決まってるよ、明るくてさ、元気でさ、はつらつとしてること、絶対に弱みは見せないこと。つらいときにもつらいなんて表情を絶対に見せちゃあだめだよ。『暗いやつとか』『くさいやつ』とか思われて、友だちにしてもらえないから」「あっそうか、今、中学生では、明るくて、元気で、はつらつとしてるってことが普通することなの」って言ったら「そうだよ!」って言ってました。兵庫県である先生がね、中学生にアンケートを取っても、そういうふうなことを答えたそうですよ。「どんな友だちが一番人気がある。つまり、人に好かれる友だちだと思われますか」って聞いたら、そしたら「8割近くの子どもたちが、ヤッパリね「明るくて、元気でそして、前向きで、はつらつとしている子。こういう友だちが好かれると思う」ってアンケートで答えてる。

 ところが、同じ中学生に「あなたが一番ほしい友だちってどんな友だちですか」ってたずねたら、そうすると、今度は正反対の答えが返ってくる。それは「困ったとき、つらいとき、しんどいとき、そんなときに、黙って隣に座って、じっと聞いてくれるような、そんな友だちが今、自分が一番ほしい友だちだ」って答える子が、7割近くいる。おかしいでしょ。一番好かれる友だちというのが、吉本のようにとはいいませんが、あの人たちはプロですからね、普通の人間関係で、いつもそうでなければいけないって思い込んでいる。明るいのは悪いことじゃあないですよ。ただ、そうしないと「友だちになってもらえないんじゃあないか」って、いつも自分で自分を脅迫しつづけるような、心模様を生きてる中学生たちがかなりいるということです。

 で、一番本音のところでは、そういうときに、一緒に大声で笑いあえたりすることも、ステキだけれども、一番根っ子のところでは、自分が一生懸命頑張って、つまづくときがある。クラブ活動でも、友だち関係でも、勉強でも、つまづくときがある。そういうときに「何言ってるんだよそんなこと!お前らしくないなぁ。前を向いてすすむだけだよ」って言うような友だちよりは「どうした」ってじっと聞いてくれる友だちがいたらいいなぁというあこがれが、子どもたちは非常に強く持っている。根っ子のところで強く持っているていうのは、裏を反せば、いつも出会う友だち関係の中では、いつも武装して「よし!いつも明るく、元気で、はつらつと行くぞ」ってこう思っているわけです。

 こうして、学校を出て家が近づいたころ、グターと疲れた状態なんです。道端を一人で歩いてる中学生なんかみんな疲れてますね。友だちと歩いているときには、一生懸命テンションを上げてる。スーと力が抜けていく。そして、家に入っていく。スーと力が抜けて「ただいま」といって家に帰ったときに「どうした」って声をかけてくれたりね、今日の学童の映画の場面の中には、そういう場面がいくつかあったでしょう。ああいうのを見て、私らはほっとするんです「ああよかった!そうやって『ただいま』って言ったときに『お帰り』って迎えてくれる人が地域の中にいてくれる」って、そのことが、この子たちにとってどんな宝物になるだろうって、私はしみじみ思うんですね。

 今の子どもたちがそういう大人との関係や、そういう年上のお兄ちゃんやお姉ちゃんとの関係が、おじちゃん、おばちゃんとの関係や友だち関係、そういうものがなかなか見つからないで「誰か助けて!って、一杯SOSを出しているんじゃぁないかな」って思うことがしばしばあります。突然パニックになるとかね、いうのも突然なっているわけではないでしょう。

 実は、一杯呑み込んで、呑み込んで、つらい感情とか「悲しいよ」とか「いやだったよ」とかそういうマイナスの感情を、人に伝えようと思ったら「やめとこ、やめとこ」といって呑み込んでいるうちに、なべの中は、マイナスの感情で一杯になってきている。そうすると、もうこんなに一杯マイナスの感情が固まっているから、それと向かい合うのもいやなんです。「どうやって向かい合ったらいいんだ。このマイナスの感情の塊に」ってどきどきしている子どもたちが一杯いる。

 急なお客様が来たときに、そこら辺にあるものを「少しお待ちください」といって、押入れの中に溜め込んでしまうことありますよね。でも、ある許容量まではいいけれども、ぎりぎりまで溜め込んで、押入れの扉を閉めたら、押入れを見るとぞっとするでしょう「やばいなぁ!この押入れ」と思うわけです。その押入れに、ちょっとでも触れた瞬間に「やめといて!触らないで!」って思うんです。お客さまがちょっとでも押入れに触れそうになったら「ちょっと触らないでください」っていうことになる。

 子どもたちがパニックになる瞬間て、そんな瞬間なんです。マイナスの感情が一杯たまってて、そこに誰かがあるきっかけで、触りそうになる。そうすると「あ!やめて!」となる。頭が真っ白になってパニックになる。よく子どもを見てると、そういう瞬間に子どもたちは、荒れたり、切れたりする姿が見えるような気がします。

 つらいとき、しんどいときに、マイナスの感情を溜め込んで、それを言葉にしたり、自分でそれに気づいていくのを手伝ってくれる共存的な他者、つまり、隣にそっと居てくれる「隣のトトロ」のように、隣にそっと居てくれて、そのことをじっと聞いてくれるという、そういう人にめぐり合わない子どもたちは、溜め込んで、溜め込んで、明るく元気な表向きの自分と、マイナスの感情を溜め込んでいる裏向きの自分を、自分自身の中で使い分けている。使い分けているうちはまだいいんですけど、そのうちに、段々自分が自分で統合できなくなる。ばらばらになっていくというのを心理学では「かえり」と言うんですが、こういう状況に追い詰められている子どもたちが、今、地域の中でたくさん生まれているような気がするんです。それは、「大人たちも同じようなこころ模様の時代を生きているからじゃあないかな」と思うことがしばしばあります。

フィンランドの教育
 4年前に、北欧のフィンランドという国で、半年間家族で海外研修で暮らしました。そのときにね、とても不思議な経験をしたんですけども、ご存知のように、フィンランドというのは、アメリカと並んで今、世界1,2を争う経済発展しつづけている国ですね。アメリカの場合は、上がったり、下がったりしながら、やってますけど、フィンランドの場合は、毎年2%とか3%とか、じっくりじっくり、まるで漢方薬のように経済が伸びつづけているけど、アメリカは、カンフル剤でやっている国。フィンランドも1990年代のはじめには、経済危機がありました。だけど、あの国は何で乗り切ったかといったら、国民に安心と、それから、いろんなことにチャレンジすることを保障したのです。

 私の息子は、当時小学校の4年生で、日本では苦労してました。3月生まれでね、勿論、幼稚園時代そういう教育全然してませんですから、小学校に入ったときに、「ひらがなの『あ』の字を五つ書いてらっしゃい」という宿題がありましてね「今日宿題があるんだ」といってしょんぼりしてるんですよ「なに」って言ったら「『あ』の字いつつ書くの」っていうから、私も最初の子でしたからね、父親としてね「わしと一緒に書くか」なんて言って、一本線を引いたら「はぁ」とため息をついているんです。あんな姿見てたら「これからこんな小学校時代がはじまるのかなぁ」と思ってたんですが、算数も同じでしたよ。

 7引く3ができませんでね、うちの息子、計算カードをめくっているときも、一枚めくるたびに「はぁ」とため息をついてました。7引く3が出てきますと、固まってました、かちんと。最初の子でしたから、私はりんごを7つ並べましたよ。そして「三つ取ったらいくつ残る」なんてやったんだけど「四つだなぁ」「そうか、じゃぁ7引く3は何だ」というと「へぇ?」なんてことで、親としていろいろあせりましたけど、ある日、不思議なことが起こりましてね、あるとき、うちの息子がね、計算カードをくっては「はぁ」とため息ついているときに、私のつれあいが、当時臨時の教員やってたんですけど、片付け物をしながら「おまえね、間違ってもいいからさ、ゆっくりやんな」と言ったんです。そうしたらね「へぇっ!」って言ったんです。「勉強は間違ってもいいからさ、ゆっくりやんなよ」って言うんです。

 ゆっくりやってたんですよ、彼は。一枚めくる度に「はぁ」って言ってたんですからね。「本当にゆっくりやっていいんか」って聞くんです。「ああいいよ」と言うと「本当に間違えても怒んない」って聞くんです。「ああいいよ。勉強は最初、一杯間違ってやるもんだ」って言ってやると「本当だね」なんて何度も確かめて、確かめ合った後、カードをめくるスピードが2倍くらいになったんです。

 そのとき、その話を聞いて「はっ」と思ったんです。学校の先生なんかの責任ということでなくて、この子は「間違ったらどうしよう。失敗したらどうしよう。隣を見たらずいぶん速いスピードでやっているのが一杯いるけど、自分はゆっくりだなぁ、どうしよう」と思ったときに「どうしよう、どうしよう、自分はダメな子かも知れない」と思うようになって、心と体が動かなくなってたんだなって思います。その子が学校に行くときに「お疲れ休みまだ」って聞くんですよ。私たち両親が働いていたときですから、月に一回くらい「お疲れ休み」というものを、つれあいと『どちらが休む』」と言ってじゃんけんしながら・・・。なかなかそれもできなかったんですけどね。そんなことで、ぎりぎり息子は頑張っていたんです。

 フィンランドに行ったときに、言葉もわからない、文化も違うという中で、私は「学校に行かなくなることもあるだろうな」と覚悟して行ったんです。ところが、その息子が一週間たつころからね「父さん。フィンランドってね、学校苦しくないんだよ」「いやぁ!おまえ無理しなくてもいいよ。お父さんも、新しい職場に行って、大変苦しい思いをしてるんだけど、大変だろ」って言ったんですけども「いゃぁ、日本の学校よりずっと苦しくない」って言うんです。「お父さん。信じられるか、フィンランドは給食が食べ放題なんだ。しかもただだよ」って言うんです。先生に「「給食がただなのは、外国から来たからなのですか」と聞いたんです。そうではなくて、給食代とってないんですねフィンランドの公立の学校では。フィンランドでは公立の学校が9割以上ありますからね、ほとんど給食代とっていないんです。給食費をとっていないだけでなくて、中学校も、高校も、大学も、大学院も学費は一切取っていないんです。私はその話を聞いて「わぁー!恵まれてますね」って言いました。

 で、「社会教育施設は」って言ったら、公立の社会教育施設は、ほとんど無料と考えていいのではないでしょうか。フィンランドには、各小学校ごとに、アートスクールとデイケア(学童保育のようなもの)がそれぞれあるんですけど、たとえば、アートスクールってのは、粘土を使ったり、絵の具を使ったりいろいろ費用がかかるわけです。「かなりお金がかかるんではないか」って聞いたら「年間で2000円払ってもらってます」って言ってました。その話を聞いて、何度でも聞き返したんです。「月2000円ですか?年間2000円ですか?」って言ったら「年間2000円です」って言ってました。年間2000円ということは、月100円と幾らかでしょう。「日本では、習い事をするのに、安くても5000円とか、高いところになると、何万円というってかかってしまうんですよ」って話をしました。そして、日本では、子育てにかかわるお金の生活費に対する割合が、どんどんどんどん増えて、エンゲル係数もどんどん増えてるんですよ」なんて話をしました。

 日本では、教育を受けようとするとお金がかかる。デイケアの施設でも、今日の映画にあったように、一人の子が経済状況が大変だというときに、みんなで知恵をしぼりながら、やっとという状況。本来は、福祉と教育の両方を担っているようなところでも、そういうことが起きるっていう話をしたんです。そうしたら、段々、フィンランドの同じ教育学をやっていた先生の顔色が変わってきましてね「それは、デモクラシーの問題ですね」つまり、民主主義の問題ですねって言われました。私は、フィンランドに行く前は、日本は、民主主義の国だと、どこかで思っていたんですけども、北欧の人たちの感覚からすると、どうして、それぞれの家庭の事情で、お金があるとか、ないとか、今、経済状態がいいとか、悪いとかいうことで、子どもの教育を受けるチャンスが左右されるんですか。「子どもの才能や能力を伸ばしていく環境を整えてやるのは、大人の役割でしょう。社会の役割でしょう」っておっしゃるわけです。「それを実現できないっていうのは、私たちにはどうしてかわからない」っておっしゃるんです。フィンランドは教育に大変お金をかけてる国です。

 だから、「ピサ」という、ある学力到達度の評価でも、OECD(経済協力開発機構)先進国の中でも、読解力は一番なんですね、フィンランドは。そして、総合的な学力についても、非常に高い国だといわれています。私はわかるような気がしました。子どもたちがね「間違ったらどうしよう、つまづいたらどうしよう」ってあせらされない国なんです。そして、子どもたちが学んでいくということを、多くの大人が地域社会もふくめてサポートできている国なんです。そういう国ですから、大人たちも「困ったときは、お互いさまだ」っていうひとつの社会世論がつくり上げられていったわけです。教育、お金心配ないでしょう。医療費も、年間500円出せば、一時医療全部受けられますからね。年間2000円払えば、どんな長期入院でも、高度な手術でもOKですからね。

 そうすると、そういうふうに、日本が「心配だ、心配だ」といってかけてるお金は、基本的には、社会が守ってくれる。そういう中で、大人たちがいろんなことにチャレンジしていく、そして、大人たちは、チャンスさえあれば、学べる社会が準備されている。ヘルシンキ大学の学部の平均年齢は、26歳です。ということは、一般社会に出てから、もう一度大学で学ぼうという人たちに、門戸を一杯開いているわけです。そういう中で、大人たちの安心していろんなことにチャレンジしていけるっていう姿。それから、労働条件もいいですものね。見て驚きました。土曜、日曜になると、ほとんどの人たちが休みになるんです。

 かつての日本の風景でいうと、20年ぐらい前に、日本でもお正月になると、みんな店が閉まっちゃって。お盆になるとみんな店が閉まっちゃう。「町ってこんなに静かだった」って思う。あの風景も今なくなっちゃいましたけど、あれが一週間にいっぺん必ず来るんです。大都会でも。だから、一週間頑張れば、静かなときが来て、みんな静かに暮らせる。一日の労働時間も、9時からはじまって、4時には終わりますからね。そういう中で、親のゆとりも違えば、そういう親と生きてゆく子どもたちのゆとりも違うなと、そして、何よりも、困ったときにはみんなで支える。病気のとき、教育にかかわって、福祉にかかわって「誰が困るかわからないから、それはみんなで支えようね。それがみんなの生きる権利なんだよ」ってことを、しっかりみんなの世論で、草の根から、1960年代からゆっくり、ゆっくりつくり上げてきたあの国だから、こんなことが起きるんだろうなって思ったんです。

 それに比べて、日本はというと、どんどんどんどん競争で、「勝ち組み」とか、「負け組み」に段々分かれていっちゃう社会になりつつあるじゃあないですか。「金持父さん貧乏父さん」とかね、私はね、こういう社会で「勝ち組み」になった人も、安心感ないと思うんですよ。だって、いつも人からねたまれたり、いつも人を蹴落としてやってきたら、誰も友だちなくなっちゃうじゃあないですか。「勝ち組み」で「勝った」っていう人が、本当に安心して暮らせる社会にならないと、本当に日本の能力や才能のある人たちも、十分発揮してもらえないんじゃあないかなって、しばしば思うことがあります。逆に、いろいろ一生懸命頑張って、いろんなことで立ち止まったり、間違ってしまったりっていう、そういう人たちだってたくさんいるわけです。そういう人たちが、再びもう一回脱皮して「生まれ変わって自分の人生歩むぞ」というときに「頑張れ!」って応援歌が聞こえてこなくて「あなたどこかで間違ったんでしょう。それはそれまでよ」って、そういう冷たい風を感じる社会。これは、経済界の人たちも言うわけですから、そうだと思うんです。

人間として?人材として?
 そういう社会に生きてると、どうも人間として、大事にしてもらう、つまり、明るいときもあれば、暗いときもある。成功するときもあれば、失敗するときもある。明るさも、暗さも、良さも、悪さも丸ごと持って、それでもしたたかに誠実に生きようと思っているごく当たり前の人々の暮らしってのをなかなか応援してもらえない。そうなると、子どもたちも一生懸命今の社会が「いい子だ」と言われる子を一生懸命演じなければならないじゃあないですか。そうすると、バスジャックを起こした佐賀の少年もそうでしたが、一生懸命「いい子」を演じつづけて、彼も中学校2年生で、学年でトップの成績をとったこともあるわけです。それは、彼にしてみれば、今の社会が「一番いい子だ」というところに一生懸命、自分を枠付けして、自分を一生懸命表現しようとして・・・。

 でもそれは、思春期独特の「本当の俺ってなーに」っていう「お前は本当は何がやりたいの」あるいは「お前は本当は何がいやなの」ってことを、どうしても心の中からふつふつと沸きあがってくるその声に向かい合えなくて、怖くて怖くてしょうがない。そういう子どもたちの風景が見えてくるんです。人間として愛される前に「人材」として愛される社会っていうのが、この地域の中にもあったとしたら、それは、とても寂しいことだと思います。

 子どもたちと授業研究をやっているときに、子どもたちが大好きなお話に「傘こ地蔵」というのがありました。あれは、明日お正月が来るというのに「食べるものもないなぁ」って、おじいちゃん、おばあちゃんが「じゃぁ、傘こでも売って、明日正月を迎えようか」と言って、おじいさんが傘こを売りに出たんだけど、全然売れませんでね、吹きっさらしの野っ原をとんぼりとんぼり帰ってきたら、お地蔵さまが寒そうにしてたから「傘こかぶせて帰ってきた」ってね、小学校2年生の子どもたちが一番大好きな場面なんですけどね。おじいさんが帰ってきましてね、そしたら、おばあさんがその雪だらけになったおじいさんを見てね「はぁー!さぞ冷たかったろう」って「中に入ってこの囲炉裏に当たれ」って言うんですよ。おじいさんは、しょぼしょぼと囲炉裏に当たって、暖をとっているときに、おばあさんに「ところで、傘こはどうだったか」って聞かれるんですよ。そうすると「こうこうこうで、こういうことをした」って「はぁー!それはいいことをしなすった」とおばあさんが言う。「じゃぁ、餅っ子のつきごっこでもやろうか」って言って、囲炉裏端を一緒にぺったん、ぺったんつきながら・・・。

 そういうおじいさんやおばあさんの姿を見て、子ども達ね「ああ、いいなぁ、このおじいさんとおばあさん」って思う。これね、今の日本社会のように「人間を愛する前に、人材を愛する」って社会だったら、おばあさんがおじいさんを迎えるとき、別の姿になっちゃいますよ。ガラガラっとあけておじいさんが雪だらけで帰ってきても「おじいさん、傘こ売れたかね」って聞いちゃうわけです。そうなると、あの話、ガラガラ崩れていってしまう。

 私は思うんですよ、子どもたちにも今、そういう風が吹いてないかって。何か、学校から帰ってきて、親が迎えたときに「あれどうだった、これどうだった」って。今日の映画で「ただいま」「お帰り」って迎えるあの関係は、ばあ様が「さぞ冷たかったろうの、中に入って囲炉裏に当たれ」って関係でしょう。こんな体験ができる子どもたちは、どんなに恵まれた子どもたちだと私は思うんです。そこで、そういう体験をした子どもたちは、地域の宝物だと思うんです。

心の中に「トトロ」が住んでる子どもに
 学童保育がね、今、子どもたちにプレゼントしているものっていうのは、私はそういう部分がたくさんあるように思います。大人の社会が、それとは正反対の風が非常に強く吹いて、戸惑っているお父ちゃん、おかあちゃんが、たくさんおられるんです。だけど、子どもたちが「ただいま、お帰り」って迎えてもらうあの囲炉裏端のような関係の中でね、本当に成長していく姿を今日の映画の中にあるように、親たちが見据えていってね、そして、親たちも「俺たちも今、一生懸命頑張っているけど、みんな弱さをかかえて、弱さをいとおしみながら、欠けてる部分はお互い補い合いながら、一緒に子育てしような」っていう、そういう新しい絆が地域の中に生まれているっていうのは、私は、地域の中で、子どもを育てるっていう、新しい教育力がそこで「再生」してきているんだろうって思うんです。

 もうひとつは、そのときに、さっき囲炉裏端というお話をしましたけれど、子どもたちが今、発達の原点で、一番忘れられているのは、響きあう関係だと思うんです。私は今日のテーマに「響き合う子どもたち」ってのを入れたんですけれども、「群れる」とか、「だっこされて一緒に遊んでもらう」とか、ちっちゃな子がお姉ちゃんのひざに入ってね、一緒にトランプ教えてもらう姿とか、ちっちゃい子が最後まで残ってね、先生にボタンはめてもらって「帰ろか」って言っても、帰ろうとしない姿だとか、人と人とがね、響き合って静かに時を過ごしていく。子どもたちが体と体を響き合わせて遊ぶ。この「響き合う関係」というものが、今、幼少期から奪われているんじゃあないか、ってことがさまざまな研究者が指摘してるんです。東京大学のしおみとしゆきさんは「だっこを嫌がる子が増えている」って、3年ぐらい前でしょうかね、指摘されていました。

 保育園で、ゼロ歳児が体中を緊張させて泣いている。そういう子どもをだき上げて「ああ、よしよし」と言って「おなか透いたかな」「おしめ濡れたかな、気持ち悪いかな」「どうしたのかな」なんて、われわれは、誰に教わったわけではないけれど、そうやって子どもが泣いたらかけつけて「どうしたの」って聞きつけて、体と体で響き合って、一生懸命「こうなのかな」「ああなのかな」って聞いてたわけです。そういう子育ての風景っていうのは、おそらく、誰が教えなくても伝承されるだろうと思っていた。ところが、そうやって赤ちゃんが困って、大泣きに泣いているときに「どうしたの」ってかけつけてくれる、親子関係に恵まれない。そういう親子関係も生まれてる。

 広島で私が働いていたときに、ある保健所の方が言われていました。赤ちゃんの発達診断で「いないいないバー」をした。そうすると、連れてきたお母さんが、顔を真っ赤にしてその先生のことを見てるんですって「お母さん、どうしました」って聞いたら「大人がそんないないいないバーなんて大人として、恥ずかしくありません?」って言うんです。「あやす」とか「いないいないバー」をする関係というのが、自分たちの経験のなかにないっていうお母さんが、都市部では生まれてきているって。おなか透いたら「どうしたの」ってかけつけて、体と体を響き合って「よしよし」って、こういう関係が見えなくなってきている。そういう親たちが増えている。

 そして、保育園では「うちの保育園ではパソコンやりますよ」なんてね。子どもたちは一生懸命パソコンの画面に向かい合って、2時間、3時間過ごせちゃうんですよ。2時間や3時間なんて、ゲームやパソコンなんてあっという間ですからね。そういう機械とは交渉するけれども、人と人とが「コマッタァ」とか「怖いよー」って言ったときに、ぱっとだきついて「どうした、どうした」といって、体と体を響き合ってもらう。マイナスの感情をかかえて飛び込んできたときに、体と体を響き合わせて、充電させてもらうという経験が、なかなかない子たちは、人と人との関係においてもね、あるいは、自分自身の安心感の上でも、いろいろな忘れ物をして育っていく。

 困ったときに「トトロ」がいない子になっちゃうんですそういう子は。つまり「助けて」といったときに、周りを見たときに、誰もいないんじゃあないかって、急激不安に襲われて、そして「どうせ誰にもわかってもらえない」というパニックの中で、いろんな暴力や攻撃性をかかえこんでいる子どもたちが今、生まれている。乳幼時期の「原体験」というのはね、体と体で響き合うという、こういう関係をたくさん積むということ。これは、お父さん、お母さんだけの関係ではないんですよ。実は、同じような年齢の子どもたち同志、ちょっと年の離れた子どもたち同志が「群れて遊ぶ」なんていうのは、実は、そういう体と体で響き合う感覚っていうものを、あるいは、そこで学ぶ距離感覚ってものを子どもはたっぷり学んでるわけです。

 そして、その中で「自分には響き合う他者がたくさんいる」ってことを、そういう対人イメージを内面化してきた子どもたちは、心の中に「トトロ」のいる子どもたちになるんです。自分自身の中の生涯の相談相手です。そういうイメージをなかなか持てない子どもたちが、いろんな困難をかかえているんじゃぁないかって思うんです。

地域の再生とは
 そういう意味で、今ね、こういう子どもたちが地域でたくさん増えている。それは、両親共働きの家庭であろうと、あるいは、そうでない家庭であろうと、必ず子どもたちがかかえてきている問題じゃあないかなって思うんです。そのために、私たちは、やはり地域の中で、子どもたちが「困ったなぁ」「不思議だなぁ」「何でだろうなぁ」「なんか知らないけどイライラ、モヤモヤ、ムカムカするなぁ」って、その思いをね、あるがままに、まず「お帰り」って受け止めてもらえるような、見守ってくれるような他者っていうのが「地域の中にたくさん生まれていく必要があるんだろうな」って思うんです。

 子どもたちが、自分の心の中に動いている素直な感情を、自分で素直に感じるってことができない。怖いときに「怖い」っていえない。せつないときに「せつない」って言えないっていうのは、先ほども言ったように、人間が人格として「かえり」してしまう。そういうものを促してしまうものです。

 人格が丸ごと統合されて「僕は、僕なんだ。これが私なんだ」って、他人と一緒にいながらも、自分が自分らしくあれるっていう、そういうものを子どもが、しっかり自覚できるようになったときに、子どもたちは、たくましく自立していくんじゃあないかって、それがなかなかできないっていうのは、とてもつらいことだと思うんですよね。だから、私は、たぶん学童保育の中で、とくに、低学年の子どもたちが、しくしく泣く。これは、成長過程でとっても大事なことでね、私は、子どもたちは、ある年までは泣くのが仕事だと思っています。泣いたときに、ちゃんとかけつけてくれて「どうしたの」って聞き取ってくれる。そういう人間関係があるって安心できるようになった子どもたちは、比較的早くなんやかんやですぐメソメソする子じゃぁなくて、安心感があって泣ける子になるんじゃあないかって思うんですよ。
 今、爪先立ちをして地域で一生懸命頑張っている子どもたちには「泣いてもいいよ」って、そういう声をかけてあげられる大人たちがいっぱい必要なんじゃあないかなって思うことがあります。

 私の娘がね、ちょうど3歳過ぎぐらいだったでしょうか、私の親戚も誰もいない中での都市型の子育てだったもんで、私たちも不安が大きかったです。あるとき、妻が入院しましてね、そして、一番上のお兄ちゃんと、その3歳になる娘と、私との3人暮らしになったんです。その娘がヤッパリ役割を感じたんでしょうね。「私がしっかりしなきゃあ」って、お父ちゃんがヘトヘトになって帰ってきても「お父ちゃん大丈夫、疲れたでしょう」って、一生懸命気づかう子でした。保育園でも、先生が「あそこは工事してるから危ないよ」一日中先生の代わりに「ダメ」って言って、一生懸命先生の代わりをするような子だったそうです。その子がね、あるとき、保育園のお迎えに私が行けないときがありました。隣の山口さんのおばちゃんに行ってもらったんですけどね、そのおばちゃんの顔を見て、ニコニコ笑って飛んで行ったそうですよ。

 そして「ありがとうね、おばちゃん!今日はどうして来てくれたの。おばちゃん、今日おばちゃんが来てくれたらいいなぁって、私ずっと思ってたの」って言ったそうです。自転車の後ろに娘が乗っているときも、ずっとそれを言い続けた」って話を聞きましてね、私は親としてせつなくなりましてね、妻のベッドサイドで話をしたんです。「ちょっとこの子、頑張りすぎてない。爪先立ち過ぎてない。今度この子が困ったちゃんになったときは、じっくり向かい合ってあげないといけないかなぁ」って話をしたんです。妻も退院して帰ってきたころ、ヤッパリ緊張の糸が切れたんでしょうね。この子がよく泣くようになりましてね。

 ある日、私が帰ったときも、泣きながら出てきたんですよ。「お帰り、お帰り」って言いながら、私が「どうしたの」って聞いたら「今日は怒られたの」って言うから「どうして」って聞いたら「ずっとずっと泣いて、泣き止まないから怒られたの」って言うんですよ。私は「ああ、泣いたらいいよ、泣いたら気持ちよくなることもあるもんね」って言ったら「ええ!本当に泣いてもいいの」って言うから「泣いてもいいよ、ほら泣いたらすっきりすることもあるじゃあない」って言ったんです。そしたら、娘はね、得意げな顔をして、お母さんのところに行って「お父さんが泣いてもいいって言ったよ」

 その子がね、そういうふうに言いはじめたころから、いろんな験しをするようになりました。突っ張って、一生懸命頑張っている子、今、地域にたくさんいると思うんですよ。お父ちゃん、お母ちゃんが頑張って働いている姿を見れば見るほど「頑張らなくっちゃぁ」って。でも、その子たちがね、少しずつ験しをします。うちの娘の場合「はい、これでおしまい、寝ましょうね」って言ったときに、いつもは「はい、おやすみ」って言っていた素直な子だったんですが「そういうことと向かい合わなくちゃあな」と思いはじめたころから「はい、これでおしまい」って言ったら「うーん!!」って、顔を半分隠しましてね、足をばたばたさせました。そして「うーん!!足が、足が怒る」とか言うわけですよ。「足さん怒ってますね。足さんどうしました」って言ったら「もう一コ読んでほしかった」「お父ちゃん、悪い子になっても私好き?」って。最初は足さんに、段々全身悪い子になってきましたけれど。子どもってね、そうして大人を験すんですよね。

つまずいても立ち止ってもいい所
 大人もそうでしょうけども、一生懸命やればやるほどつまづくでしょう。「何かやろう」と思ったときに、つまづき、立ち止まるわけで、そういうときには「充電したい」って思うわけです。と思ったら、つまづき、立ち大人でもそうではないですか。「誰かに聞いてもらいたい」と思う。子どもならなおさらですよ。「頑張ろう」とする頑張り屋さんであるほど、つまづいて、充電したいってときが、必ず来ます。そのときに「どこに僕の充電器ある」って、子どもは捜すんだと思うんです。私は、家族っていうのがその大切な充電器になるってことは勿論ですけども、私は、家族以外にも、子どもにとって、そういう充電器になるところ、甘やかされる場所じゃあなくて、一生懸命頑張った自分が立ち止まったときに「甘えさせてもらうところ」そういう場がね、地域の中によみがえっていくことが大事じゃあないかなって思うんです。

 私は、今、学童保育っていうのが、制度的に、急激に、社会的にも知られるようになり、また、そこを活用する人たちも増えてきて、そこで頑張っている指導員の方々も、大変増えてきました。

 私は、全国の指導員の方々と、お会いする機械が最近増えてきたんですが「本当に指導員の方々っていい人が多いんだなぁ」この人たちと一緒に「子どもってなんだろう」って「本当は子どもってこうなんだよね」って言ったら「そうだなぁ」って響き合ってくれる指導員の方々が多いですよ。

 意外に、学校の先生に同じ話をして「ええっ!」って、どうしてわかってもらえないのかなぁってことがしばしばある。勿論、先生方にもいい先生いるんですよ。だけど、指導員の方々というのは「ただいま」って帰ってくる子どもの姿を丸ごと見てるからですよ。学校はね、子どもたち少し頑張る姿で生きてるから、そうだと思います。うちの娘も、小学校ごっこやっているときに「はい、これから小学校ごっこをやります」って言ったらね「あなたの好きなのなんですか」って言ったとき「野菜です」って答えました。「嫌いなのなんですか」って言ったら「飴です」って言いました。逆を言うわけです。これが学校だと思ってるんです、子どもは。

 一歩頑張る自分で生きるところだと「ただいま」って帰ってくるところは、頑張る自分もいるけれど、頑張らないときも、そんな自分も好きって言ってくれるから。そういう両面をしっかり見つめてくれて、子どもとともに生きてくれる、そういう人が地域の中にいるってことが、これから地域を「再生」してゆこうと「子どもたちをともに育てる地域をつくって行こう」って時には、とっても大事なことなんじゃあないかと思うんです。

 そういう思いを抱きながら、今日の映画も見せていただきました。おそらくこれが、勿論、この大阪の地でもね、全国でもね、多くの人たちが、この映画を見ていただきながら「ああ、こうやってただいま」って帰ってくる場所。そこでみえてくる子どもたちの姿とか、そこで奮闘していらっしゃる指導員の姿とか、いうものを見ながら、何かしみじみとね、突っ張らないで、「こういう大人たちが地域にたくさんいてくれたらなぁ」そしたら、一人の親としても「もうちょっと頑張れるかも知れない」そんなアドバルーンのように理想的な親になるというのじゃあなくて「この先生方と一緒に自分も親になっていくんだなぁ」って「そういう一歩一歩トボトボと歩みをつづけていくという、そういう親としての歩み方もあるんだなぁ」っておもえるようになったときに、子どもたちは、そういう親の姿を見て、また、安心感を太らせて、子どもたちがその地域でね、いろんなそういう友だちと「お兄ちゃん、お姉ちゃん、地域の中にたくさんいたな」その子どもたちがまた、その地域で暮らしていくわけじゃあないですか。そのおにいちゃん、お姉ちゃんとともに生きてきた、子どもたちが、今度は地域の中で「この地域をどうして行こうか」って「もっと僕たちの夢があるような地域にするにはどうしたらいいか」ってときに、大事なきづなを結び合っている。そういう意味で、私は、学童保育は、未来の地域共同の種まきだって思うんです。

 一親として、それを思うと同時に、これを機会に、この映画の原作になった本、これを読んでますと、大阪の地で、いろんなことにつまづきながら、頭を悩ましながら、歩みをすすめて来られたその指導員の方々の思いや、ともに歩まれた親たちの思いがぎっしり詰まってる本で、わたしも、飛行機の中でも、本当に何度も読み返しました。こういう営みが大阪からはじまって、そして、そこからこの映画が生まれて、それが、全国のね、親たちを励ましている。あるいは、指導員の方々を励ましている。

 それだけでなくて、実は、そのことが大きな種まきをしている、そのことを皆さんとともに、確かめ合っていけたらなって思ってます。

 今日は、土曜日の貴重な日だったと思います。みなさんそれぞれにそれぞれの生活がありますのにね、こうしてご縁があってここでお会いできたことを、何より感謝したいと思います。また、大阪の人たちと一緒に励ましあって、今、北海道は涼しく10度ほどの温度差がありますが、気温に差があっても、かかえてる悩みは同じなんです。これを機会に、支えあえるようなきづなが、ここから生まれてほしいなってことを、願って今日のお話に変えさせていただきたいと思います。

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